物語を作る上で、読み解く力「分析力」が必要となります。
作品を1つのテーマで分析した内容を読むことで、分析力が鍛えられるシリーズ。
今回は、アニメ『くまみこ』をとりあげます。
テーマは「最終回の終わり方」についてのお話。
※ネタバレあり
『くまみこ』のあらすじ
熊を奉る神社に巫女として仕えている雨宿まちは、都会に憧れる中学生。ある日、幼少の頃より共に育ってきた後見人(人?)の喋るヒグマ・クマ井ナツへ「都会の高校へ行きたい」と訴えます。ところがナツは大反対!長きにわたる山育ちで、都会の常識を知らないまちの事が心配なのです。でも、どうしても「村を出て広い世界が見てみたい」と言うまち。そこでナツは都会で生きるために必要な知識をクイズで出題するのですが・・・。
アニメ『くまみこ』公式サイトより引用
『くまみこ』の感想
漫画が原作のアニメ化作品。
リアルタイムでは数話ほど見てたが、忙しくてそのままになっていました。
途中で最終回が「炎上」し、作品が大きく不評となった話は聞いていて、気にはなっていましたが忙しくて見ることはできず。そして、最近やっと見終わりました。
始めの方の回の感想としては、よい感じの作品だと思っていました。
主人公の雨宿まちは可愛いかったし、ナツのキャラクターもよかったし、のんびりストーリーも悪くないし、OPの花谷麻妃ちゃんもよかったし、EDの曲もノリノリだったし、アイキャッチの絵もちゃんと描いてるし、ラストは4コマもありサービス満点だったし、作品全体も丁寧に作っている印象を受けました。
普通によい作品として終わるのだろうな~と思っていたら、コレです。
わからないものですね。
今回のテーマ「最終回の終わり方」
で、今回は「最終回の終わり方」について。
「終わりよければ全てよし」と言われるほど、途中がいまいち問題があっても、最後が上手く決まっていれば、その作品はそこそこ評価されます。
それだけ、最終回の終わり方は大事です。
そして今回は、その逆バージョン。終わりが失敗して、評価が大きく下がった作品。
始めにそのウワサを聞いた時は、もしかして視聴者にイチャモンつけられて、変に炎上しているのかなとも思いました。
なので、まず想像したのは「くまのナツの死亡エンド」。それだったら炎上したりするのかなとも。
そして実際に最終回(12話)まで見てみたら、なるほどと思いました。
「たしかにコレは炎上するな…」という内容でしたね。
では、どこが不味かったのか、作り手の視点で解説してみたいと思います。
<クライマックスのあらすじ>
都会に憧れる超田舎者の雨宿まちは「東北アイドル自慢コンテスト」に出場するために、良夫と響と一緒に(まちがスゴイ都会と思っている)仙台にやってきた。憧れていた都会でウキウキ。
しかし、まちの被害妄想が爆発し、リハーサル中に逃げ出す。まちを探す良夫と響。一方、まちがいなくなったことを聞いたくまのナツは、村から仙台へかけつける。
そんな中、まちの出場時間がせまる。しかし不安を押し切り、まちは出場する。そしてアピールタイムで神楽を舞うが、客に石を投げられたと被害妄想がまた爆発する。そして二度と都会へはでないと誓い、ナツも喜ぶ。
(問題点1)良夫のセリフ
まず、視聴者がサイコなセリフだと感じてる、良夫のセリフが不味いですね。
まちを探していた良夫と響が、デパートの屋上で言い争っているシーン。
そこの良夫のセリフは「まちが村のために犠牲になるのは仕方がない」といった感じに受け取れますね。
これはだいぶ不味いです。良夫のキャラクターが崩壊してます。
良夫は「馬鹿だけど良いやつ」というキャラクターがベース。
いくらまちを引っかき回したり、酷いことしても、良いやつという面があるから仕方ないな~と視聴者は許せます。
でも、このセリフだと「目的のためなら手段を選ばない冷酷なキャラクター」に。
これは違和感ありまくりです。
このセリフはもしかして、クライマックスなので「いわくのある村の巫女」という設定を、強くアピールしたかったのかもしれませんね。そういう設定をだすと、クライマックス感が出ますし。
それなら良夫がそういうこと言わないで、響が「今のまちは、村の昔話の生贄になったヤツと同じじゃねーか!」とか言い放つと、アピールはできましたね。
(問題点2)神楽を舞ったすぐ後のカット
そしてクライマックスのまちが壇上で、不安をのりこえて神楽を舞ったシーン。
問題は、そのすぐ後。
まちの被害妄想で、客から石を投げられるブラックな画面になります。
ここは「やっちまったなぁ~」というカット。
何が問題かというと、一番クライマックスで盛り上がり「カタルシス」となるシーンで、カタルシスが起こらなかったということ。
まちが大きな不安、自分の弱さを乗り越え舞い、そして(少しは)成長するという表現のシーン。それがあって、感情移入してる視聴者が癒される。…そのはずなのに、それが表現されていない。
舞った後に、すぐブラックな被害妄想の画面になるので、まちの成長は失敗した…という表現になってしまいます。頑張ったけど、現実はどうにもならなかったという「絶望感」が残る。
そして主人公が物語を過ごし、何ひとつ成長しなかったという形に。
そうなると、何の意味のない物語となってしまいます。
カタルシスを表現するには、舞う前に「被害妄想でお客の顔がちゃんと見えなかった」まちが、舞った後に「お客の顔が見れるようになる」という変化をみせればよかった。また、余韻として、客の拍手シーンとか追加であってもよいですね(「わー」とかはあったけど、なんか観客がポーとしてゆっくり拍手が広がる系とかの)。
で、その後にオチとして、オタクが激しく興奮して、持っていたサイリウムがすっぽ抜けて飛んでいって、まちの頭にあたり、石を投げられたと被害妄想の画面になるといった流れなら自然だった。
うーん、なんで一番大事なところが甘いんだろう…
まちが舞っただけで、カタルシスになると思ったのかな?
(問題点3)依存エンド
最後に不味いのは「依存エンド」。
結局は、まちは2度と都会にいかないことを誓い、(本心ではずっとまちと村で一緒にいたい)ナツはそれを聞いてすごい喜ぶと。
これだと、子供に依存してる母親が「あなたは何もしなくていいのよ」というのと同じで、気持ち悪いものを見せられているだけになってしまう。
そういう母親と、この物語は何が違うの?と問われると、答えることができない話に。
物語である意味が、まったくなくなる。
実は、このシーン自体が悪いわけではないです。
ギャグ的なオチとして、こういうやり方もあります。
しかし、先のカタルシスの問題からの流れから、そういう風に強くみえるような印象になっているのが不味い。
そして後には、「依存感を消すシーン」を追加する必要がありました。
シンプルに、最後の最後にまちが「やっぱり、東京の高校に行きたい!」とか懲りずに言ったりすると、依存感が消え、物語が締まりました。そして「まだストーリーは続くのだな」という感じも出ます。
これがあるのと無いのでは、お話は全然違ってきますね。
ここもプロにしては、甘いな~というところ。
まとめ
この3点が、くまみこの失敗に大きく影響した点になると思います。
- キャラクターの崩壊
- カタルシスが成立していない
- 依存感を強く感じる表現
そして、あげた改善策で修正するだけで自然な感じになり、炎上したり、評価が下がったりしなかったんですけどね。なら、二期もあったかも…
というか、シーンで見れば小さいところですが、たったこれだけで作品が失敗するのが物語の恐ろしいところ。一寸先は闇…
それだけ最終回は、すごい気合を入れて注意して作らないと不味いってことですね。
しかし、発売されたBlu-rayでは最終回は修正されているもよう。
見てないけど、大まかな流れとしては自然になっている感じです。
最終回が修正されれば、基本はよい作品ですからね。
今回のポイントは「終わりよければ全てよし!途中よくても終わり悪ければダメ!最終回はとにかく1つの話の12倍は気合入れて作ろう!」といった感じですかね。
アニメ制作も1話作ったら、次は最終回を先に作ればいいんじゃないのかな。
大事な1話と最終回だけ、超時間かけて。特に最終回はすごく時間かけて。
なら評価をガクンと下げることはないのだけど、無理かな?
で、次回は最終回以外で気になった点を、書きたいと思います。
それでは。
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