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【分析】アニメ『くまみこ』 生々しい表現

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物語を作る上で、読み解く力「分析力」が必要となります。
作品を1つのテーマで分析した内容を読むことで、分析力が鍛えられるシリーズ。

TVアニメ「 くまみこ 」オープニングテーマ「 だって、ギュってして。 」【通常盤】
アニメ『くまみこ』オープニングテーマ

今回は、アニメ『くまみこ』をとりあげます。
テーマは「生々しい表現」についてのお話。
※ネタバレあり

アニメ公式サイトはこちら

『くまみこ』のあらすじ

熊を奉る神社に巫女として仕えている雨宿まちは、都会に憧れる中学生。ある日、幼少の頃より共に育ってきた後見人(人?)の喋るヒグマ・クマ井ナツへ「都会の高校へ行きたい」と訴えます。ところがナツは大反対!長きにわたる山育ちで、都会の常識を知らないまちの事が心配なのです。でも、どうしても「村を出て広い世界が見てみたい」と言うまち。そこでナツは都会で生きるために必要な知識をクイズで出題するのですが・・・。

アニメ『くまみこ』公式サイトより引用

今回のテーマ「生々しい表現」

漫画が原作のアニメ化作品。
途中まで評価もよかった作品ですが、最終回で炎上し評価がガクンと下がった作品です。

前回は、最終回で何が問題で、評価が下がったのかの解説をしました。
しかし実は最終回だけじゃなく、作品全体についても気になっていることがあります。

それは「妙に生々しい表現をしているな」という点。

今回は、その点について分析してみます。

生々しい表現とは

まず前提として、「生々しい表現」とは何かを説明します。

生々しいとは、ファンタジーというより、リアルよりな感じで表現することと言えるかな。
ご存知のとおり、アニメはひとつひとつの動作を現実のようにリアルには描かず、省略して描きます。
なので、ひとつひとつの動作は基本的にファンタジーな動きといえる。そして感情も同じようにいえる。

例えば、食事シーンがわかりやすいかな。
普通にパクパクと食べるのが、普通のシーン。
でも、料理アニメだと、動作のひとつひとつが具体的だったり、無駄に間が長く緊張感が漂ったり、噛むのもリアルな動きだったり、汁がほとばしったり、いろんなリアルな音がなったり、顔の表情も妙に情感たっぷりだったり。

また、たいていはただリアルにするのでなく、情感たっぷりな演出も混ぜたりします。
そのように生々しくすることで、よりそのシーンを強く表現し、視聴者に強くうったえかけます。
前者のただパクパクだと、そんな強い表現でなく、さーと流してみるシーンになります。

『くまみこ』の生々しい表現

それでは、『くまみこ』について。

例えば、4話でヤンキーの響が初めて登場した回
主人公の雨宿まちの頭つかみ壁ゴンと、軽く蹴りいれ、そしておさげの髪をひっぱりと。
響がまちに対しての暴力シーンや、まちの反応が妙に生々しい。

また、6話でまちがオシャレな雑貨屋にいこうとして失敗したシーン
失敗して良夫の影でおびえ泣き、そしてくまのナツがグチグチと説教すると。
泣くシーンがしつこいほど生々しい。

他でも、生々しい表現がチラチラあったり。
特にまちは、よく泣いたり怯えたりするので、そういう所が生々しいのかな。

そして最終回も、けっこう生々しいともいえるし。
「被害妄想」のところなんて、特にそうなのかな。
まちがリアルな精神異常者のように、生々しく表現されている。

そのような作品全体あちこちでの生々しい表現が、視聴者に強い印象を与えている。

生々しさによる失敗

そして、それらの生々しい表現が、作品の印象を悪くしている

基本的に主人公の雨宿まちは、極度の田舎コンプレックスと人見知りのダメ人間。
それはそれでよいのだけど、そういうダメ人間を表現する時に、あまりにも生々しく、リアルよりに強く表現すると、視聴者は引いてしまうことがある。
ただのダメ人間でなく、リアルに統合失調症、パニック障害、うつ病などの精神的な病をかかえてる感じにもなるし。

生々しく表現すること自体が悪いわけじゃないです。
それによって、シーンを強調でき、お話を強くし盛り上がったりするし。

しかし『くまみこ』の場合は、特にまちのそういうシーンが多々出てくるので、何度も繰り返されると少しウンザリする部分もある。鬱々としてくる
何度も泣いて、何度もビクビクと怯えてると、なんか面倒くさい娘だな…という印象も。
それが数回とかならいいのだけど、けっこう多いし。
また、そういう生々しさが、ギャグを弱めてしまっているところもある。

最終回に視聴者が激しく炎上したのも、そのへんも関係している思う。
そういう生々しい嫌な重い流れが、最終回のトリガーをきっかけに爆発したような感じ。
視聴者がホラーとかサイコとか感じたのは、そういう生々しい流れが作品全体にあったのも、1つの理由だと考えます。

まとめ

まあ、主人公のダメなのが作品の「ウリ」でもあるんですけどね。

多分、原作である「漫画」というメディアだと、それほど気にならないと思います。
でも、アニメになると映像なので、そういう表現が生々しく強く視聴者に伝わってしまう。
そういう点をどう処理するか?」という課題のある作品だったのだけど、より生々しい表現をしてしまったことで少し失敗している。

ある意味、アニメ化するには、少し罠めいた作品だったのかも。
むしろアニメ製作陣は、その罠に引っかかったといえるのかな?
もしやるんだったら、生々しさを消すために短く15分アニメでもよかったのかな。
軽やかに進めて生々しさを払拭と。

原作をどう映像にするかは、本当に難しいなと思った作品ですね。
漫画は漫画、アニメはアニメの伝わり方がありますから。

今回の話のポイントとしては、「表現とは、なんでも強く表現すればいいわけじゃない」と「漫画をアニメ化する際は、映像にすることの問題点がないか注意」ということですかね。
作品の内容に合わせて、バランスを取ることが大事です。

とはいっても、今回の件は気にならない人は、別に気にならないのかも。
でも、気になる人は気になると。
人によるのかな~

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